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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)12090号 判決

原告 天祖神社

右代表者代表役員 斎藤英雄

右訴訟代理人弁護士 永野謙丸

同 真山泰

同 小谷恒雄

同 保田雄太郎

同 竹田真一郎

被告 坂戸正夫

右訴訟代理人弁護士 日野魁

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、別紙物件目録二記載の建物(以下、本件建物という。)を収去し、同目録一記載の土地(以下、本件土地という。)を明渡せ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は本件土地を所有している。

2  被告は本件土地上に本件建物を所有して、本件土地を占有している。

3  よって原告は本件土地の所有権に基づき請求の趣旨のとおりの判決を求める。

二  請求原因に対する被告の認否

請求原因1及び2の事実は認める。

三  抗弁

1  賃借権の承継取得

(一) 原告は鈴木幸重に対し大正一四年頃本件土地を建物所有の目的で賃貸し、幸重は同地上に本件建物を建てて所有していたが、同人は昭和二一年一月七日丸山胤久に対し本件建物を本件土地の賃借権とともに売渡し、丸山は昭和三〇年八月二三日これを被告に売渡した。

(二) 被告は右買受後、同年一二月二三日の建物所有権移転登記前に、原告の差配人相沢訓祐方を訪れ、賃借権譲受の挨拶をし、その後昭和四一年頃原告の求めに応じて原告方に赴き、原告代表者の母に会って賃借権譲受の経緯を説明したのであり、原告が被告の賃借権譲受を知らなかったはずはない。毎月の地代は隣地の借地人鈴木一郎(幸重の子)方へ持参し、同人が自己の分と一括して差配人の相沢に支払っていたが、昭和四七年四月以降は鈴木を介することなく被告が直接に相沢に支払うようになり、昭和五三年一〇月受領を拒絶されるまでこれが続いていた。よって、原告は本件土地の賃借権譲渡について黙示の承諾をしたものと解すべきである。

(三) 被告は本件土地の賃借権譲受を原告に秘匿する意思は毛頭なく、右に述べたような事情の下に二三年間平穏に推移してきたのであり、その間賃料を滞納したこともないし、賃借人として何の迷惑もかけていない。したがって、かりに原告の承諾が認められないとしても、本件には背信行為と認めるに足りない特段の事情があるというべきである。

2  賃借権の時効取得

被告は昭和三〇年一二月二三日本件建物につき所有権移転登記を得たときから、賃借の意思をもって平穏公然に本件土地の用益を継続し、月々の賃料を鈴木一郎を介してもしくは直接に差配人の相沢に支払ってきたのであり、本件土地の賃借権の譲受について原告の承諾が得られたものと信じ、かつそう信ずるについて過失はなかった。よって被告は昭和四〇年一二月二三日の経過により本件土地の賃借権を時効取得した。かりに善意無過失が認められないとしても、昭和五〇年一二月二三日の経過により時効取得したものである。

四  抗弁に対する原告の認否

1  抗弁1について、(一)は認める。ただし、原告が鈴木幸重に本件土地を賃貸したのは昭和一九年七月一日であり幸重が丸山に本件建物を売渡したのは昭和二〇年一二月二八日であり、丸山が被告に本件建物を売渡したのは昭和三〇年一二月二三日である。

(二)及び(三)は否認する。原告が被告の賃借権無断譲受を知ったのは昭和五二年になってからであり、それまで被告は借地人名義を鈴木幸重とする貸地料領収証(通帳)を用いて原告を欺き続けてきたのである。

2  抗弁2も否認する。右の事情の下では、被告の用益が賃借の意思に基づくものであることが客観的に表現されているとはいえない。

第三証拠《省略》

理由

一  原告が本件土地を所有し、被告が本件土地上に本件建物を所有して本件土地を占有していることは、当事者間に争いがない。

二  賃借権の承継取得の抗弁について

1  原告が鈴木幸重に本件土地を建物所有の目的で賃貸し、幸重は同地上に本件建物を建てて所有していたこと(《証拠省略》によれば、その時期は大正一四年頃と認められる。)、戦後幸重が丸山胤久に本件建物を本件土地の賃借権とともに売渡し、次いで昭和三〇年丸山が被告にこれを売渡したことは、当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  原告はその神社の周辺に広大な宅地を所有していて、百名近い借地人にこれを賃貸しており、本件土地の近辺については、被告と同じ阿佐谷北五丁目に住む相沢源十郎夫妻を差配人(昭和三〇年頃からは集金人と呼ぶようになる。)として地代集金等の業務に当たらせ、昭和三二、三年頃以降は源十郎の子相沢訓祐夫妻がこの仕事を引継いでいる。

(二)  鈴木幸重は、大正年代より、原告所有の阿佐谷北五丁目七四番一の宅地のうち本件土地とその南側に接する土地(別紙図面のA及びBの二区画。以下、A地及びB地という。)を建物所有の目的で賃借し、各区画に順次建物を建てて所有していたが、昭和二〇年一二月頃本件土地上の建物を丸山胤久に売渡すことにより本件土地についての賃借権を譲渡し、昭和二一年一月七日建物の所有権移転登記をした。次いで昭和三〇年八月二三日丸山は被告に本件建物を売渡すとともに本件土地についての賃借権を譲渡し、同年一二月二三日建物の所有権移転登記をした。被告はこの登記の前後頃丸山の妻の案内で差配人の相沢方に挨拶に出向いている(原告はこの事実を否認するが、《証拠省略》によると、相沢源十郎の妻とよは、当時、本件建物の住人が丸山から被告にかわったことを知っていたことが窺われるのであって、このことは右認定事実を間接に裏付けるものであり、《証拠省略》を通観しても右認定を左右するに足りない。)。

(三)  一方、A地については、幸重は昭和二三年頃同地上の建物と借地権を市田満雄に譲渡した。そして幸重自身はB地上の建物に居住していたが、昭和二五年に死亡し、その子鈴木一郎がこれを相続した。

(四)  地代は、本件土地の分については被告が、またA地の分については市田がそれぞれ鈴木方に届けておき、集金人の相沢が鈴木方において一括して鈴木幸重名義で徴収するという方法で取立てが行われてきた。

(五)  昭和三九年頃市田がA地上の建物を改築する機会に、同人は原告に対し名義書換料を支払って、A地の賃借権譲受につき正式に原告の承諾を得、以後市田は鈴木を経由することなく直接に原告に地代を支払うようになった。

(六)  昭和四一年に至り鈴木一郎もB地上の建物を改築することとなり、このときまでB地と本件土地の借地人名義は亡鈴木幸重のままであったのを、この機会にB地については名義書換料を支払って鈴木一郎名義に変更して新たに賃貸借契約書を取り交わした(被告は、この頃被告自身も原告から出頭を求められ、原告代表者の母と思われる老婦人から鈴木らと同様に名義書換料の支払を打診された旨供述するが、この点は原告代表者の強く否定するところであり、右事実についての確証は得られない。)。そこで、これ以後B地の貸地料領収証(通帳)は鈴木一郎の名義、本件土地のそれは鈴木幸重の名義という二本立てとなったが、その支払については依然として前記(四)のように、相沢が鈴木方においてB地分と本件土地分を一括して徴収するという方法が続いた。しかし、昭和四七年四月以降、相沢は本件土地分については通帳上は鈴木幸重の名義のままとしながら、直接に被告から地代を取立てるようになり、その後まもなく取立払方式を改めて被告から相沢方に持参することとした。

(七)  原告は、昭和五二年六月地代値上げをめぐって多数の借地人から連名で文書をもって申入れを受けたとき、その中に原告の名があったことを契機として、被告の賃借権譲受を問題とするようになり、原告の役員会の議を経て、昭和五三年一〇月分以降被告からの地代の受領を拒絶することとし、この間被告と名義書換料についての交渉は行ったが、金額の折合いがつかなかったため、被告に建物収去を求めるに至った。

3  右に認定した事実関係のもとにおいて、以下被告の抗弁の当否を検討する。

(一)  被告が本件建物を買受けた当時、差配人(集金人)の相沢方へ挨拶に出向いたと認められることは右2(二)で述べたとおりであるが、《証拠省略》によれば、差配人は借地人からの地代の集金を行い、その他地主と借地人間の連絡をはかる以上の権限は持っていなかったことが明らかであり、たとえ相沢が借地人の交替を認識していてその状態が長く継続してきたとしても、そのことから直ちに地主である原告が賃借権譲渡を承諾したと同様の効果を認めるわけにはいかないし、地代の支払に関して前記2(四)及び(六)で述べたような事情があったことを考慮に入れても、未だ原告の黙示の承諾を推認するには足りないといわざるをえない。

(二)  しかし、地代の支払をめぐる諸般の状況、ことに昭和三九年ないし四一年頃市田と鈴木一郎が相次いで正式に名義書換をし、以後本件土地の地代の通帳は右両者の分とは区別され、やがて被告が鈴木を介しないで独自に相沢に支払うようになった経緯にかんがみると、原告においては、従来、建物の売買に伴い敷地の賃借権の譲渡があったときにも、それを直ちにとがめるわけではなく、ただ書類上借地人の名義を書換え名義書換料を支払ってもらうまではこれを正規の借地人として処遇せず、名義上は旧借地人名義のままで契約関係を処理し、地上建物改築とか賃貸借期間満了等の機会をとらえて名義を変更し、新たに賃貸借契約書を交わすという取扱いをしてきたことが推認されるのである。

この点に関して原告代表者は、昭和五〇年頃被告から安部某所有の隣地との境界の確認のため立会を求められた際、はじめて本件建物に被告が居住していることを知ったが、その時点ではまだ被告が本件建物の所有者たとは知らず、単なる借家人にすぎないと思っていたと供述する。しかし、さきに認定したように、昭和四一年に本件土地については従来どおり鈴木幸重の借地名義のままとしながら、B地だけは鈴木一郎名義に変更したことにより、この両地の借地人が異なることが顕在化したわけであり、しかもその幸重は十余年前に死亡していることをあわせ考えると、本件建物の所有者は鈴木幸重、一郎以外の第三者であることは自ら明らかになるというべきであり、原告は遅くともその当時から被告が建物所有者であることを知っていて、ただいわゆる名義書換が未了であったにすぎないものと認めざるをえない(原告代表者は、原告と被告方とは一キロメートルほど離れていて日常の交際もなかったため、幸重が死亡していることを知らなかったというが、人的な信頼関係を基調とする借地契約の当事者間においてそのようなことは容易に考えられない。もし原告代表者のいうとおりだとすると、B地について鈴木一郎に名義書換をしたわけが理解できないことになる。)。

(三)  他方、被告は、賃借権譲受当時、差配人の相沢に挨拶をしただけで、地主である原告の明確な承諾を得ようとしなかったことは、落度といわれてもしかたのないところではあるが、原告に対してことさらに賃借権譲受を秘匿しようとしたとは認められないのであり、鈴木一郎を介してあるいは直接に相沢への地代支払を滞りなく継続することによって、自己の法的地位の安泰を信じていたと認められるのである。

(四)  このようにして、被告の賃借権譲受から原被告間の紛争発生までに二〇年余、原告が右賃借権譲受を知ったと認められるときからでも少なくとも一〇年余という異例の長い期間を経過している本件においては、これだけの時間的経過があるという事実自体が無視しえない重みを持つのであり、そこに至る間の原被告双方の態度を総合的に考慮すると、本件の賃借権譲受については背信行為と認めるに足りない特段の事情があると認めるのが相当である。

三  以上の次第で、被告の抗弁は理由があり、原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 藤井正雄)

〈以下省略〉

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